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「不機嫌」な写真家・南條直子

──80年代・右翼・山谷・アフガニスタン

※1月13日の開場時間が18:00~22:00に変更になりました! あらかじめご了承の程、宜しくお願いいたします。

【2013年 一発目の地下大学!】
※今回は、写真展の開催(1月12日~14日)
14日は、南條さんを取り上げたドキュメンタリー鑑賞&トークとなっております。

kairou■写真展
写真展示期間:1月12日(土曜日)~1月14日(祝日の月曜日)
時間:1月12日(13:00~20:00)、1月13日(18:00~22:00)、1月14日(15:00~トーク終了まで)

■映像鑑賞&トーク
日時:1月14日(祝日の月曜日)
第一部:「南條直子を紹介したドキュメンタリー」鑑賞 18:00~19:00
第二部:トーク  19:00~21:00
トーク:織田忍(ライター/『山谷への回廊~写真家・南條直子の記憶1979―1988』編集&著)
<本について:検索ワード山谷への回廊> http://a.sanpal.co.jp/matu/kairou/
※ゲストも調整中

バブルが膨らむ直前の1980年代初め、
カメラを手にした一人の若い女性が山谷の街角に現れた。
アフロヘアにアーミージャケット、片時もタバコを手放さない。
そして、体の中で膨らんだ何かを決して語らなかった。
彼女は、右翼少年たちに密着した後、日雇いの街に来た。
ある日アフガニスタンで地雷を踏んだと報せが届く。瞬く間の24年間。
南條直子が焼き付けた「不機嫌」を今、感じ取る。

<写真展/トークとも>
場所:素人の乱12号店(高円寺北3-8-2フデノビル2F)
北口から北中通りのちょっと先、アヤマ接骨院脇の階段を昇った奥
http://trio4.nobody.jp/keita/shop/12/map.html
・資料代500円+投げ銭よろしく

とぼけた顔して、ババババーン~こども・おんな身体論

【今年最後の地下大学!】
・12月13日(木曜日)19~21時
素人の乱12号店(高円寺北3-8-2フデノビル2F)
・北口から北中通りのちょっと先、アヤマ接骨院脇の階段を昇った奥。
・資料代500円+投げ銭よろしく

講師:松本麻里(No Nukes More Feminism)
東琢磨(批評家、フードジョッキー)

まったくもって、やっすいSFホラーのような現実である。もしこれがフィクションの世界であれば、うるさい読者たちに即座に「リアリティがない」とそっぽを向かれてしまうに違いない。しかし、同時に、これはいつか見た、今まで何度も見て来た光景であるのかもしれない。

そんな記憶の断片をたぐりよせつつ、いま、いくつもの場所で進行している、新たな「生」のせりだしている状況とそのなかでの諸身体、こういってよければ集団身体的な感受と実践を語ろう。各種映像も見ていきながら。

「こども・おんな」についてを中心に据えるのは、シンボル化を目論むわけでも「守る守る詐欺」をたくらむからでもない。やっすいSFホラー的想像力に編み上げられてしまったおとこの身体を試す存在として素早く動くからである。

こどもになる、おんなになる。「なる」ことに賭けてみること。可能かどうかに関してはとりあえず無頓着でいく。あるいは、とっくに、わたしたちは混生成(ハイブリッド)していると言い切ってみる。とりあえず、こどもじみたいいおとなのおばさんでありおじさんのふたり組だ。ザ・スパイダースやハクション大魔王にならって、とぼけた顔してババババーン、といっちゃう。

※終了後は、会場でそのまま鍋なんぞを囲んでの忘年会に移行予定。
食材費、食材・酒持ちより、調理片付け補助もよろしく乞う。

不屈の民でええじゃないか! ──大熊ワタルが語る、山谷の映画から官邸前まで

【地下大学・音楽 × デモ】
・11月17日(土)15時~18時
・素人の乱12号店:高円寺北口北中通り先、アヤマ接骨院の2階
・資料代500円+投げ銭

映画「山谷 やられたらやりかえせ」予告編あり!

吉祥寺の「マイナー」から弾け出た「音の流れ者」大熊ワタル。
postパンクなソングを奏でるロッカーが、
どういう風の吹き回しか日雇い労働者の街・山谷に向かう。
そこで見たものはなにか?

日雇いたちを描いた映画に音で寄り添い、二人の監督たちが血に塗れる。
「昭和」が屍になると、やがて無二の楽友・篠田昌己が世を去った。
punk、ブレヒト、クレズマー、チンドン、アイラー、ジプシー & more。
気がつくと、高円寺から官邸前への Musical Mystery Tour。

子供劇場、ルナパーク・アンサンブル、A-Musik、コンポステラ、旅する芝居の音魂。
そしてシカラムータを聴きながら、「楽隊屋」大熊ワタルが歩いた音の轍を辿る。
必見! 予告編『山谷 やられたらやりかえせ』。

「他の海峡」──鵜飼哲が語る【東北】アジアの風雲

【地下大学・アジア至急便】
「他の海峡」──鵜飼哲が語る【東北】アジアの風雲

「島々」は国境ではない。
諸民族の文化が混じり合う場所である。
海を行く人々にとって、海峡は回廊であり、島は宿駅だったはずだ。

独島、釣魚島、国後島。脱原発デモと並行して「島紛争」の荒波に
溺れそうなこの列島。
「東アジアに日本の友だちはいない」と中国紙は告げている。
ふと気がつくと「友だち」は釣魚島に放たれたヤギくらいだろう。
ひとつがいが数百頭にもなって、昆虫から樹木まで島の生態系を食
い荒らしてしまった。
愛国者の「友だち」は、かわいそうだ。いずれ口に入るものはなくなる。
私たちは国境に閉じ込められたヤギなのか?

この夏、風雲の韓国を歩いた鵜飼哲さんの眼が見たものは何か?
高円寺の路地裏で「他の海峡」の可能性を語り合う。

・10月6日(土)15〜18時
・素人の乱12号店(高円寺北3−8−2フデノビル2F)
・北口から北中通りのちょっと先、アヤマ接骨院脇の階段を昇った奥。
・資料代500円+投げ銭よろしく

「新たなサークル運動時代が来た! 自由民権、1950年代、そして脱原発」

地下大学2012夏 2/3
池上善彦(前「現代思想」誌編集長)

人々はガイガーカウンターを手にして、公園を、家の周りを、畦道を計り始めた。
原発とはなんだ? 放射能とはなんだ? セシウムとはなんだ?
「学習」こそ「蜂起」の始まりである。

1870年代末~80年代前半の自由民権運動、1950年代の戦後サークル文化運動、
そして2011年に始まる今こそ、第3の「サークル運動」の時代である。
この円=サークルから何が始まろうとしているのか?

【日時】8月9日(木)19時より
【場所】素人の乱12号店・きたなかホール(高円寺)
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
(北中通り沿いアヤマ接骨院脇の階段を昇って奥)
http://trio4.nobody.jp/keita/shop/12/map.html
【料金】資料代500円+投げ銭(自由意思)

倫敦暴動 calling

────ギャングスター文化と反人種主義運動

毛利嘉孝+平井玄+二木信

反原発運動の胎動は、蛇行する世界のうねりの中で起きている。

9月11日の脱原発新宿デモでは、12人もの友人たちが逮捕され自由を奪われた。
東口広場は真っ白い金属ボードで覆われ、べビーカーに赤ちゃんを乗せた
お母さんたちは警官から罵声を浴びて追い払われてしまったのである。
この当局の対応に何か異常に過敏なものを感じないか?
彼らはいったい何を恐れているのか。

カイロからアテネへ、バルセロナからロンドンへと
広がった「都市の爆発」の現場では何が起きているのか?
マーク・ダガンが殺され暴動が起きるきっかけとなった街トッテンナムや、
3人のイスラム系が殺されたバーミンガムを歩いてきた毛利嘉孝さんと話し合いたい。
そして、ロンドンの街路がどこに繋がっているのかを考えよう。

【日時】9月27日(火)19時~21時
【場所】素人の乱12号店・きたなかホール(高円寺)
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
(北中通り沿いアヤマ接骨院脇の階段を昇って奥)
http://trio4.nobody.jp/keita/shop/12/map.html
【料金】資料代500円+投げ銭(自由意思)

「タハリール広場からアズハル大学まで──エジプトの人びと」当日の映像リストの紹介と簡単な解説 その2

「タハリール広場」に、集まった人たちは、実際に広場でどんな解放の歌を歌い、どんな解放の踊りを踊ったのか。また、どんなメディアを使ったのか。さらには、シュプレヒコール、プラカード、パフォーマンス・・・そこでどんな新しい創造性(クリエイティビティ)やコモンが生まれたのか?。それは即、「脱原発」運動をしている私たちにも具体的な「発想」を提供してくれるだろう。まずはエジプトから学びたい。それが今回のテーマの核でした。

当日、報告者の山本さんは、エジプトの「タハリール広場」の細部にこだわった報告をしてくださいました。広場の細部へこだわった報告は、高円寺という場所にとても馴染んだと思います。細部、片隅、場末は、エジプトの広場や市場(スーク)に<地下でつなっがっている>と思わせたステキな報告でした。そこで、この感動をつたえるべく、簡単な映像リストの紹介をしたいと思います。さいごに山本さん、本当に「地下大学」ならびに高円寺にぴったりの報告感謝しています。

さて、ここには、21個の動画がリスト化されています。そのうち当日、報告者は、18個使用されました。動画のファイル名の表示がアラビア語であったりしますので、報告のあった18個について簡単な解説をしておきます。動画閲覧時の参考にしてください。(なお、当文章の文責は報告者ではなく、当日司会・もとやまのメモによるものですので文責は、私にあります。)

動画リストは以下のURLです。
http://www.youtube.com/playlist?p=PLEE6BD94CB3DF58B5

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=jsBKZ2mP-EI[/youtube]
「革命」後に生まれたもの。「革命」後、これまでなかった政治を風刺したバラエティも生まれた。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ph8e11KR8mk[/youtube]
ご存知ムバラク退陣の声明です。この映像をじっとみてください。この退陣声明を読み上げたのが、副大統領オマール・スレイマン。秘密警察のトップでもあり、人々に拷問をした張本人で、退陣を発表した人物。そういうこともあってか、「顔なんか、みたくない」と目を背けたい人も多かったのか、後ろのSPの男に注目が集まる。フェイスブックなどでは面白プロフィールが盛んに作られる。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=-Ci1D3hz0jM[/youtube]
ムハマド・ムニールの背後の男。この男に注目した様々な動画が作られる。「大きくなったら何になりたいの?」、「技師、歌手、先生、セールスマン」、「だけどボクは臆病じゃない」、「なりたいのはオマール・スレイマンの後ろの男」みたいな感じです。この背後の男に関するものは、さすがに悪ふざけの観があり、すぐにこの事態は収束する。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=0YBik61I3DQ[/youtube]
広がる表現形態。シリア、リビアでもエジプトで作られたような、独裁者を笑い飛ばす動画が作られるようになった。これはカダフィー(カッザーフィー)の「恐怖のメッセージ」をおちょくったもの。この恐怖のメッセージは、「家、家を。地区、地区を。殲滅する。」という信じがたく、許しがたいメッセージ。このような「恐怖」に、「笑い」で抵抗しているといえるでしょう。「‪Gaddafi The Founding Father of Islamic Iran Revolution‬」も参照。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=4EUxhCWD_8s[/youtube]
これは、ラップです。パレスチナのラッパーに影響を受けただろうエジプトのラップ。「オレは反政府だ」みたいなことがラップされている。ギャングスター・ラップのテイストです。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=5gLv80p0LnI[/youtube]
ビデオ作家によってつくられたもの。英語のキャプションもありますので、見やすいかと思います。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=UoibH0SN5DM[/youtube]
若い詩人の詩のパフォーマンス。人気のある若手の「口語(方言)詩人」。アラブ社会の根底にある「詩」の世界を堪能してください。これとラップなど聞き比べると味わいも深いです。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=D8tboFLG5Ww[/youtube]
昔歌われた革命歌(1956年ももの)が今回甦ったものです。يا مصر قومي وشدي الحيل سيد درويش بلادي بلادي も、今回の「革命」で、かつて発禁されていた歌、昔の闘う歌/詩人が甦りを見せたことの例です。

ついに帰ってきた〈黒いアテナ〉───その思想史的地殻変動

◉再開「地下大学」への招待
「徹底討議 地下の中東」
4月講義@素人の乱12号店
4月28日 19時から
資料代500円+投げ銭

佐々木中さんへの手紙───エッセイ風の導入として
平井玄

私が佐々木中さんの言葉に初めて触れたのは、酒井隆史くんたちのVOL Collectiveによる『lexicon』(2009年、以文社)として編まれたキーワード集の中で、「フーコーとイラン革命」について書かれた項目でした。

他のメンバーたちのほとんどは街頭や研究会で顔を合わせている人たちばかり。ところがこの見知らぬ人物は、「現代思想系」とまるでひとつのマーケットのように呼び倣わされる場所ではまず語られることのない「イスラーム」について書いている。しかもその言葉は、短いながら極めて印象深いある種の「くぐもり」と「翳り」を濃厚に帯びていました。

フーコーが1980年に書いた「イラン・イスラーム革命」への詩的な讃美ともとれる論考が生涯の汚点のように語られてしまう。さらに末期の病床で「ヨーロッパ」に回帰し「自己への配慮」というギリシア的な境地に到達したとされる。そうした教科書的な語り方への激しい苛立ちが文面に沸き立っている。加えて「イスラーム」や「宗教」への何か独特の視線。「革命」という言葉がまるで漆黒の夜空に瞬くような文章でした。確かに、今やそうした哲学者たちの幾人かはそれこそ高校「倫理」のテクストで取り上げられている。VOLのグロサリー(用語集)そのものがそうした安全化への抵抗に違いないでしょう。その中でも、関節が外れたような独異なリズムを持つ矢部史郎のそれとは別の意味ではっきりと記憶に残っている。ページから弾け出るような不穏を秘めた文章でした。

「これを書いたのは誰だ?」
それより前の2008年に出版されていた『夜戦と永遠』を手にしたのはこのもう少し後です。そして未だに読み続けている。簡単には消化しない。消化などできない異物というべきです。そういう遠くから鈍く響きわたるものへの愛好が間違いなく私にはある。

そのうちに『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、2010年)が現れる。それらに読み耽り、また訥々と読み留まるうちに、「これは啓典の語りに似ているな」という思いを抱きました。モーセ五書をはじめ中央アジアから東地中海域にかけての宏大な空間から蝟集してきた「旧約」と名づけられた古叢書群、ナザレからやって来た私生児イエスの言行録の数々、そしてメッカに生まれメッカと対立したムハンマドの「クルアーン」として読み謳われる啓示集。そのハードボイルドな語りに似た口吻が聴き取れる。預言者たちを私たちの元に引き寄せるために「ハードボイルド」という言い方を敢えて選びましょう。

それらは「宗教」ではない。死地に直面した人々を励起させる言葉の群がりというべきです。そして人間の歴史に大きな「信」を問いかける言葉はいつも底深い「静けさ」を湛えている。その意味でそれは「革・命」の言葉なのです。生きようとする者たちの命を革める、天地と人との盟約を大きく革める言葉。「革命」という言葉の解釈権をマルクスの後継者たちが独占していた20世紀は無惨な形で終わったというべきでしょう。しかしそれは広告のレトリックではない。全世界で多くの者たちがその実現に生涯のすべてを賭けたこの言葉を、より宏大な人類史の中で再定義すべき時が来ているのは間違いないのです。

この著者は、そうした「革命」の思想史の一端として「現代思想」なる奇妙な名を冠された哲学者たちの仕事を読み継ごうとしている。だからラカンの破綻を、ルジャンドルの疎隔を、フーコーの蹉跌を大胆に語ることになるのでしょう。ドゥルーズ/ガタリが歩んだ屈曲の理路もその視野に入ってくる。そうである以上、読み解きの視野はフランスや西欧世界に留まるものではない。まさにこの点に、この帝都の最も猥雑なる街のひとつでそれと知らずにアジア諸民族の混濁の中で生きた、たった半径1キロの視野しかない私のような人間がゆっくりと反応したのです。

───今「事態」は私たちの前にある。遠くマグレブからマシュリクへと響きわたっていく「タハリール!」(解放)の轟き、さらに私たちを呑み込もうとしている地塊の震えと原子の狂乱、このふたつの波動が交錯する場所で私たちは暮らしているのです。大群衆の広場から、汚染された村から「言葉」の気配が伝わってくる。「文学」が必要とされる秋(とき)が来ている。こうした「事態」の中で共に語り合いたいと思っています。                            
                          
(2011年4月23日)

Egypt Burning

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=w3FQXYdyHCg[/youtube]

教員たちは対話を求める

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出典:Enseignants recherchent dialogue (LaTéléLibre.fr)
字幕翻訳:岡山 茂(アレゼール日本事務局長)