// 地下大学──非正規大学のために

言葉は奪われている。
歌は奪われている。
思想など、とうの昔に消えてなくなった。

だが今、喰うためには、少なくとも死ぬその日まで生きていくためには、
一塊の言葉が必要だ。今のこの自分は、どんな物質でできているのか。
なぜ、どうして、オレタチ/ワタシタチの生はこんな形になったのか?
そして一体全体、これからどうなっていくというのか?

TVは、人を殴りつける鈍器である。だから、それをすべて叩き壊して、
言葉を創り出さなければ、創られた言葉を貪り喰らわなくては、
死ぬことさえできないだろう。

だが、そうした言葉が生まれ、じっと寝かされ、あるいは煮立てられ、
苦く甘い酒のように醗酵させる「場所」は奪われた

広場は奪われた。劇場は奪われた。新聞は奪われた。公園は奪われた。
街は盗まれた。ブル─シ─トも、段ボ─ルも、ドヤも、川沿いの土手も、
ガ─ド下も、カフェの片隅も、何もかも奪われようとしている。
組合も、教会も、家さえ消え去ろうとしている。

そしてとりわけ、ありとあらゆる「学校」が死んだ。
大学は、今や gated city (要塞都市)と化した。
それは、国家と企業に奉仕する犬や、その下でこき使われ駆除される
ネズミたちの製造所である。そこで教えられる「知識」や「技術」や
「教養」は、犬を繋ぐ鎖であり、ネズミを取る鉄の歯である。

───そして、【地下大学】が始まる。

そこで語られるのは、鎖を切る「知識」であり、鉄の歯を砕く「技術」
である。教養主義を破壊する「教養」である。

それは、対抗シンポジウムを、大学の外へ、街へ、夜へ、押し開く試みである。
かつてソ連支配下の東ヨ─ロッパに、ヤン・パトチカたちの地下大学があった。
デリダたちの「条件なき大学」の試みがあった。
今、韓国に「スユ=ノモ」があり、ラテン・アメリカにはノマド大学がある。

【地下大学】は、呻きが声になり、声が歌になる、その一歩手前に踏みとどまるだろう。
なぜなら、歌は奪われているから。
【地下大学】は、夜の街、その泥沼を彷徨うTAZ(一時的自律空間)となるだろう。
なぜなら、場所は奪われているから。